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第3回 ボデゴン

その2    その1

 で、ここからが本題。 黄金時代と呼ばれるスペイン17世紀前半、フランシスコ・デ・スルバランという画家がいた。 エストレマドゥーラで活動するが、修行時代を過ごしたセビージャの修道会との関わりが強く、多くの宗教画を描いている。 こんなことを書いてしまうとスルバラン研究者に怒られるかもしれないが、スルバランは人物が下手。 顔の表現はどことなくズレていて、大構図になるほど表現が硬くぎこちなくなる。 プラド美術館に所蔵されているヘラクレスの偉業を描いた連作はあまりの下手さに展示されることさえほとんどない。

 しかし、そんなスルバランの真骨頂がボデゴンだった。 プラド美術館に展示されている《ボデゴン》は文句のつけどころがない傑作だと思う。初めてこの作品の前に立ったときの衝撃は忘れることができない。 全身にさぁっと鳥肌が立って、思わず立ちすくんでしまった。 ただ陶器が4つ横に並んでいるだけなのに、宗教画にも劣らない深い精神性に満ちているのである。 「スペインでは什器にさえ神が宿る」なんて解釈は汎神論的だと誤解されるかもしれないけど、この絵の前に立ちさえすればそんな逆説も納得できるだろう。

 先日、スルバラン研究者にあの《ボデゴン》に描かれた陶器は大きさも形も色も様々なのだが、どれも水を飲むためのものだったという話を聞いた。 それが本当なら、これを見た当時の鑑賞者は「うへぇ、喉渇いたよ」と生唾を飲み込んだに違いない。 ベラスケス初期の傑作とされるボデゴン《セビージャの水売り》でも賞賛されるのはやはり水の表現で、水滴の表現は「真珠のような」とまで評される。

 スペインの日射しは目眩がするほど強烈で、しかも湿度が極端に低いとくれば、下手に日向を歩くと脱水症状になりかねない。 そんな気候では水がもつ重要性は砂漠の旅行者が感じるものに勝るとも劣らない。 水は生命の源ということが偽らざる実感として感じられるはずだ。

 同時代の17世紀オランダで制作された静物画の多くが命の移ろいやすさを表現し、「虚栄」や「快楽のはかなさ」を意識させる道徳的な意味をもっていたのに対して、スペインのボデゴンは強烈に生を意識させるものだったのではないか。

 真夏のスペインを歩きながらたまらなく喉が渇いたとき、バルに飛び込んで「セルベサ!」と叫ぶ前に《ボデゴン》のことを思い出してみて欲しい。 思いもしなかった静物画の意味が、実感として理解できる・・・かもしれない。


2000年8月6日



プラド美術館のサイトにあるスルバラン の《ボデゴン》
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◆第1回 絵画は「もの」である
◆第2回 スペイン美術ってなに?
◆第3回 ボデゴン
◆第4回 再現の難しさ
◆第5回 美術品の裏の世界
◆第6回 それ僕の!
◆第7回 星へと続く道
◆第8回 典型的なスペイン女性
◆第9回 バルセロナ > ガウディ
◆第10回 ピカソは何美術?

 

 

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