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第2回 スペイン美術ってなに?

その2    その1

 さて、問題は20世紀美術になるとより複雑になる。 ミロやダリを例にとってみよう。 あまりに遅れたスペインの前衛美術に見切りをつけ、彼らは若いうちにフランスへ渡る。 彼らがシュールレアリズムの画家として成功の階段を昇っていくのは説明するまでもないことだが、シュールレアリズムという運動は本来、詩人アンドレ・ブルトンを中心とするフランスの運動である。 エル・グレコの場合と同じ論理を用いると、ミロもダリもフランスに行かなければ「ミロ」や「ダリ」とは成り得なかったのである。 つまり、ミロもダリもフランス美術になってしまう。 苦しいところだが、ミロもダリも晩年はスペインに帰国し、スペイン人として生涯を全うしたというのがスペイン美術に加える免罪符となるのだろう。

 では、ピカソの場合はどうだろう。 彼の作品はスペイン美術なのか、フランス美術なのか。 ピカソがスペインで生活していたのは1900年(19歳)までで、バカンスで滞在する以外、その生涯をほとんどフランスで過ごした。 内戦以降はフランコ政権に反対して公式にスペインの土を踏むことさえなかった。 フランスがなければ、ピカソは「ピカソ」たり得なかったし、スペインで生涯を全うすることもなかった。 それにピカソが評価されたのはフランスであったし、スペインではフランコ体制が終わるまで、その名を口にすることがタブーとされるほどであった。 かなり旗色が悪い。 やはりピカソはフランス美術なのだろうか?

 ただ、ピカソはスペイン人としてのアイデンティティーを捨てることがなかった。 フランコ軍の勝利によって亡命者となったピカソは国籍を与えようというフランスやメキシコの好意的な申し出を断っている。 それに、彼が繰り返し描いた闘牛や情熱的な性はいかにもスペイン的なテーマだ。 フランス人では到底表現し得ない世界がピカソの絵画の中にはある。

 そういうわけで厳密には、ピカソの作品をスペイン美術と呼ぶこともフランス美術と呼ぶことも間違いになると僕は考えている。 ピカソはフランス美術とスペイン美術のどちらでもないのと同時にどちらでもある。

 ここまでで、「スペイン美術」という言葉が意外に曖昧な概念だということがわかってもらえただろう。 スペイン美術はスペインという国家の中だけに単純に限定することができないのだ。こうした意味で「美術には国境がない」という言葉はかなりの説得力をもっているのだが、じゃあスペイン美術という概念は無効なのか?むむむ、考えると考えるほどわからなくなる。


2000年7月11日

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◆第1回 絵画は「もの」である
◆第2回 スペイン美術ってなに?
◆第3回 ボデゴン
◆第4回 再現の難しさ
◆第5回 美術品の裏の世界
◆第6回 それ僕の!
◆第7回 星へと続く道
◆第8回 典型的なスペイン女性
◆第9回 バルセロナ > ガウディ
◆第10回 ピカソは何美術?

 

 

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