闘牛という見世物−生と死の遊戯


1.闘牛とは

 闘牛は牡牛の死を見せる見世物だ。スペインの死に対する感覚は日本のものとは違う。スペイン人は牛の前を走るという遊びに命を賭けることも厭わず(スペイン語で「命を賭ける」という表現はjugarse la vida、つまり「命を遊ぶ」と言う)、テレビや新聞紙上で死体を見かけることも珍しいことではない。この価値観の違いがわからない限り、闘牛は理解できない。


 闘牛はその場限りの見世物だ。二度と同じものは見ることができない。天候も変われば、闘牛士のコンディションだって違う。何よりも、その日に死んでしまう牡牛は二度と同じ舞台に立つことがない。二度と繰り返されることがない儚い陽炎。  闘牛は牡牛と人間の戦いではない。最初から人間が勝つことが決まっている出来合いレースだからだ。そういう意味では(建前上は)どちらが勝つかわからない相撲よりも、演劇に似ているかもしれない。闘牛士の「演技」が取り沙汰されるのはそういうわけだ。


闘牛 闘牛には牡牛と闘牛士、この主人公の二人以外にも多くの登場人物がいる。バンデリージャを刺すバンデリジェロ、馬上から槍を刺すピカドール。悪い闘牛には野次を飛ばし、いい闘牛には白いハンカチを振って耳を要求する観客も、闘牛には欠かすことができない。客席がガラガラの闘牛ほど盛り上がらないものはない。その他にアルグアシリージョ、モソ・デ・エスパダ、プレシデンテと、闘牛場の中に限ってみても多くの人が関わり、その日の闘牛を創り上げていく。闘牛場全体に「オーレ」のかけ声が轟くとき、そこには言葉にできない一体感が生まれ、鳥肌が立つほどの感動が引き起こされる。


 闘牛はお祭りと密接に結びついている。スペインではお祭りがあると、必ずといっていいほど闘牛が行われる。闘牛が行われないお祭りなんて、宗教的起源さえ持たないバカ騒ぎラ・トマティナ(バレンシア近郊ブニョールのトマト投げ祭り)くらいしか思いつかない。バレンシアの火祭りも、セビージャの春祭りも、パンプロナの牛追い祭りも、マドリードのサン・イシドロ祭りも、例外なく闘牛が行われる。フィエスタ・ナシオナル(国民的祝祭)という単語はそのまま闘牛を意味するほどである。


 闘牛のシーズンは3月から10月。近年は季節や天候に影響を受けない屋根付き闘牛場なるものができ、冬でもノビジャダが行われることはあるが、本来は夏のものなのである。客席がソル(日向)とソンブラ(日陰)に二分され、ソンブラの席のほうが値段が高いのは、闘牛がジリジリと照りつける夏の太陽の下で行われるからだ。夏のスペインの日射しは殺人的に強烈である。直射日光の下を10分でも歩いてみれば、有名なシエスタ(昼寝)の習慣が怠惰から生まれてきたのではないことが実感としてわかる。


 夏の刺すような日射しの下で、死の仮面を被ったお祭りの熱狂が繰り広げられる。二度と繰り返されることのないはかない舞台で、闘牛士は命懸けの舞踏を舞い、牡牛は死へ向かって駆け抜けていく。それが闘牛だ。


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