ちょっと前のわたしたち

【No.278】11月7日 かおる * 【No.279】11月21日 Taka
【No.280】11月29日 Meche

No.280

11月29日 Meche(京都)

 この秋、ソウルにいる妹がかわいい女の子を授かり、とうとう私は“イモ(韓国語で叔母さんの意)”になりました。
もちろん、とってもうれしい!
でも“イモ”ってさ・・・“イモ”ね・・・“イモ”・・・くすん。

 そして、そんな“イモMeche”も、女の子を授かりました。
青い眼の白い猫。
ある日、薄汚れてガリガリの小さな猫が、父の足にス〜リス〜リ。 少し前から職場に住み着いてるというその猫を、しばらくは静観していた父だけど、まもなく冬がやってくる、可哀想だし可愛いし、とうとう静観できなくなって家族会議。
両親の家に迎え入れることになりました。

 「まだ子猫なんだよ」と聞かされていたわたしたち。 でも、一目見てビックリした母からの電話。 「子猫なんてウソウソ、どう見ても大人だよ。 お父さんどこ見てるんだろ。 もしかしたら、出産したこともあるかもよ」。 「でっかくて年のいった女(母・私・妹)に囲まれて暮らしてきたから、お父さん女を見る眼が無いのかもね」と言ったら、「その眼で選んだのが、私だし〜!」と母は大笑い。

 こうして、新たに娘入りを果たした新にゃんは、女を見る眼の無い父との出会いが縁なので“ちち”と名づけられました。

 その後、両親のところの先住老にゃんと折り合いが悪いため、我が家に来ることになった“ちち”。
最初は野良猫根性丸出しで、どんなにしっかりご飯をあげても、えさの袋を食い破り、スーパーの袋を食いちぎっていたけど、今ではご飯を残せるほどの余裕。 固かった肉球も柔らかくなったし、ちょっと怖かったキスも、苦手だったホットカーペットも、好きになりました。 ちっちゃく丸くなって寝てたのもウソのように、仰向け大の字で大切なところも丸見え。 たまに私をグルーミングしてくれたり、サービスで変なところをモミモミしてくれます。

 すっかりお家の子になった“ちち”と、彼女を微笑ましく見守る私。 しかし、そんなわたしたちを快く思っていない子が1にゃん。 “ちち”と遊んでいると、暗い廊下につながる戸の隙間から、恐ろしいほどの気配がっ! 振り返ると、そこには私の浮気現場を押さえた先住にゃんの“チャッキー大先生”がっ! 刺すような視線と「ウ〜、ニャウ〜(浮気してるのね)」という怒りの声は朝も昼も夜も続き、新にゃん“ちち”はストレスから膀胱炎。 そして、あんなに優しくて温和だった“チャッキー”は嫉妬に狂い、とうとう“ちち”に対して猫パンチを繰り出すほどの荒くれ者に・・・。
ああ・・・、愛されるってつらい・・・。(←たぶん勘違い)

 でも「チャッキーが一番だから」と先住にゃんをなだめ、「大丈夫! 元気出せ!」と肩を落とす新にゃんを励ます努力が実を結び始め、最近は少し家族の調和が取れ始めました。

 ソウルの妹が子育てに奮闘している今日この頃、私も猫育てに奮闘中です。 そしてついでに、浮気の恐ろしさも身に染みてわかりました。
男性(女性もね)の皆さん、浮気にはくれぐれも気をつけてね!

 

 

No.279

11月21日 Taka(東京)

 10月、スペイン旅行をキャンセルした私に会いに、田舎から母親がやってきた。 海で採れたひじきをもらったからと、まるで行商にでも行くかのようないでたちで。

 「観光はもうしないでいいの」と言う母親を唯一連れて行ったのは六本木ヒルズ。 ちょっとしかいなかったけど、私が仕事に出ている間は家でご飯を作ったり、ベランダや部屋の掃除をしてくれていた。

 家に帰ったときにご飯が出来ているってなんてあったかいんだろう! 私が田舎に帰ったときに感じる温かさとはまたひと味違う新鮮な温かみを感じて嬉しくなった。

 これまで母が東京に出てくるときはたいてい、母も私も仕事があって、母の泊まったホテルで会ったり、外で食事をしたりがせいぜいだった。 でも、今回は、私の日常を“見る&手伝う”が母のテーマだったらしく、仕事を調整しようとする私に、「いつものようにやりなさい」を繰り返し言った。

 だから、と言ってはなんだが、じゃあ、いつものようにと、家の近所にあるバールをくまなく回り、いつもの顔ぶれを見つけては「私のマミーです。カゴンマ弁しか喋れないけどよろしくね」と紹介しまくった。

 マミーが言った「あんたの友達づきあいには男の子も女の子もないのね。 若い人も歳をとっている人もなくて、ちょっとその性格はうらやましいわ」と。 つまり老若男女、地位も何も関係なく、人見知りもせずにつきあえるその性格がうらやましいと言うのだ。

 でも、私は人見知りだ。 すごくすごく人見知りだ。 ただ、ひとつ思うことがある。 どこかで”スペイン好き“という共通点が、初めて会う誰かにも親近感を持たせてしまうのだ。 そして誰かと出会ったり、一緒にスペインの話をしたりできるのが嬉しいのだ。

 いま私が住んでいる界隈には10ぐらいのスペインレストランやバールがある。 スペイン語でウナコパしよう(ちょいと一杯やろう)とよく言うが、気軽に立ち寄れる立ち飲みバールも増えた。 それはとっても嬉しいこと。

 そのうちお気に入りのバールと、それらの店のお気に入りタパスを紹介したいと思う。 そろそろ忘年会の予定も入ってきたこのごろ。 個人的には『年忘れバール巡り』で大いに盛り上がりたいと思っている。 現在、参加者募集中である。

 

 

No.278

11月7日 かおる(マドリード)

 一人の女性が夢を描いた。 「日本人が初めて聞いた西洋の音楽を再現するような音楽祭をやってみたい」 ただこれだけの気持ちで、「音楽祭」という大イベントをほとんど一人で切り盛りしてやり遂げてしまった人がいる。

 1年とちょっと前にこの途方もない計画を持つ方と知り合いになったのを縁に、私も及ばずながらもその音楽祭のお手伝いをさせていただくことになった。

 「豊後ルネッサンス音楽祭」と銘打ったこの企画には、様々な音楽プログラムが盛り込まれているのだが、その中でもプログラムの中心とも言えるイベント、フランシスコ・ザビエル生誕500年を記念してのグレゴリオ聖歌隊のコンサート・ツアーに同行させてもらえることになったのだ。 これは、ザビエルの日本布教の道を再現しようと、ザビエルが歩いた道をほぼそのままたどっていくという企画。

 まず鹿児島に始まり、平戸、大分、山口。そしてザビエルは訪問しなかったが、今の首都としての東京(ザビエルは京都には行った)を回る。

 ザビエルの当時と今ではまったく時代も時間の感覚もことなるのだけれど、15人(プラス同行者で合計22人)という大所帯の一行は初めて訪問する日本のイメージに大変驚いたようだ。

 今、一般のスペイン人の想像に及ぶところの「日本」は高層ビルだったり、雑踏の中を急ぐサラリーマンだったり、カプセルホテルだったり、立体に交差する道路と渋滞、最新のコンピュータ社会、華やかなネオンに彩られる街、そんなテレビなどで伝えられるイメージだ。

 到着したのが大都会ではなかった、ということも幸いしたのか、日本の自然の豊かさと美しさ、街中にあってもそこに小さな自然が息づいていることに、ほとんど全員が驚いたようだった。 遠い昔、日本という国に大きな期待を寄せたザビエルが見たのも、こんな自然の美しさだったのかもしれない。

 そして、肝心のコンサート。 日本ではこんな本格的なグレゴリオ聖歌がナマで披露されるのは、きっと初めてのことだっただろう、コンサートは各地で大きな反響を呼び、どのコンサートも満席をいただくことができた。

 個人的には平戸の会場と平戸という小さな町に入ったとき、「こんなところで、いったい人は来るのだろうか?」と疑問にさえ思えたのだが、とんでもない、隠れキリシタンの血はまだ通っているのか、たくさんの信者さんと思える人たち、その中にはお年寄りも多いのだが、列を作ってコンサートに来てくれるのだった。

 信者の方たちだけでなく、都市部では音楽として楽しんでくれるような人たちも多く見受けられた。 かくいう私だって、カトリック信徒でもなければ、クリスチャンでもない。 でも、一つの音楽アートとして存分にグレゴリオ聖歌を楽しむことができた。

 最終日、半円形に並んで歌う彼らの後方から、歌う彼らの姿とそれに聴き入る満席の客席を見ていると、突然涙があふれてきた。 言葉にできなかったが、「ミラグロ」を肌で感じた気がしたから。 「ミラグロ」は直訳すると「奇跡」。 でも、それは単なる偶然によって起こされた奇跡ではなく、たった一人の人間が、熱意を持って呼びかけ、すべてを犠牲にして、といっていいほどの献身の結果、その努力を知る人はここにはほとんどいないにも関わらず、みんなを感動させるようなコンサートにつながっている、という因果関係。 これをなんと呼んだらいいんだろう。 言葉より、鳥肌が立ち、涙が出てきた。

 その感動の最終コンサートの翌日、帰国する聖歌隊一行は、少し覚えた日本語で彼らを見送る私に空港の出発ロビーで一斉に「ありがとうございました」と声をそろえて言ってくれた。 「こんなコンサート・ツアーは初めてだったし、一生の思い出になるよ」といいながら。

 私だって、主催者の彼女が「この企画を一人でもやり遂げる」と宣言したときには「とんでもなくクレージーだ」と思った。 でも、そのひたむきさは大きな結果を招くことになった。 小さな試みではあるけれど、15人の合唱隊とその同行者を含めた22人のスペイン人、そしてコンサートを聴きに来てくれた日本の人たちが受けた感銘で日本とスペインとの心の距離が近くなったとすれば、それだけでもすばらしいことだと思う。

 こんな人たちの小さな努力が少しずつ実を結び、美しい絆が新たに生まれることを祈って。

 

 

ちょっと前のわたしたち

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