”ANTONIO FAJARDO” (アントニオ・ファハルドへ)
アローバ読者の皆さま、こんにちは。(たまには、ご挨拶もしましょうね)
スペインは、グラナダから、石川亜哉子です。
日本を10年以上前に脱サラ?して、スペインでフラメンコのステージ活動を行い、半芸能生活?を経験したあと、いきなり、今年の初めより、旦那のバール
(小さい居酒屋?)の調理場の仕事をしている私です。 人生なにがどうなるかわかりません。(ちゃんと自分でレールをひけって?)
急に毎日が同じことの繰り返しになりました。 毎日同じ時間に起きて、同じ仕事の繰り返し。
はっきり言って私は向いてない。でも、やらないと、お店が開店しないので、今日のご飯のためのお金も稼げないのである。 昨日は「芸」を売ってなんぼ(幾ら)の世界、今日は、ワインを売ってなんぼの世界。 なんだかなー、と思う。
しかし、人間の生活とは、毎日同じっていうのもなんだか一番平和という気もしないこともない。
毎日同じということは、特別な事がない、ということは、すごくハッピーな事、もない代わりに、すごく哀しいことも無い、ということである。 つまり、宝くじが当たることもない代わりに、自動車に轢かれることもなく、日本の母も変わりなく元気、とか、そういうことである。
そのかわり、小さな喜びや、小さな怒りはいろいろある。 ああ、今日は、私の育てている盆栽が元気とか(笑)、今日は町の空気がきれいとか、ああ、私の犬が吐いたとか、旦那と仕事上のコンビネーションが悪くて責任のなすりあいをするとか、そいういうのはたくさんあるのである。
なんで、こんなことを考え始めたかというと。。。?
今年の1月から、もくもくとこのバール の仕事を初めて、毎日が同じことの繰り返しになった。
そして、慣れてきた頃、突然その「不幸の変化」はやってきた。
旦那の上の兄弟が突然入院、そして、危篤、そして、入院から1週間後にはこの世の人ではなくなってしまった。
私のショックを書く前に、旦那のショックは比べ物にならない。 私が代筆しても書けないので、書かない。
若い頃に両親を一度に亡くし、さらに一番上の兄弟も1人亡くしている。 今回亡くなったのは、上から2番目のお兄さんである。(旦那は10人兄弟の9番目) つまり、今回で8人兄弟になったわけである。
亡くなったお兄さんの名前はアントニオ。
10年前から、家庭が円満にいかずに4人の子供をもちながら、家族と別れひとりで生活していた。
お酒ばかりに手がいくようになり、体はぼろぼろになっていたらしい。
当然ドクターストップは、もう何年も前にかかっていたらしいが、本人は私たちの前では、いつも缶ジュースを片手に持っていた。 今わかったことは、実は、その缶ジュースの中には、ワインがしこまれていたらしい。 だから、家族は、お酒を飲んでいるとは、ゆめゆめ、思わなかったらしい。
今、思うと入院の1ヶ月ほど前、兄のアントニオの家を訪ねた夜、旦那が泣き止まなかった時があった。
お兄さんが、「寒い、寒い」といって、ソファーに毛布で包まってちょん、と座っていた姿がたまらない、と言って泣いた。
それから、1ヵ月後のある夜、突然、お兄さんは体の力を失い、高熱も伴い、入院となった。
回復の余地はなかった。点滴で1週間もったようなものである。
苦しくて痛くて、ずーっとうなっていたお兄さんだが、私の顔を確認して私の名前を呼んだ。
私はそれきり、病院にはいかなかった。 旦那が毎日通った。
そして運命の日は確実にやってきた。
私は、お兄さんが目を閉じてから1時間くらい遅れて病院に到着した。
最後は、大変苦しみながらも人間の意識とはすごいもので、4人の子供が次々と到着し、顔を確認したとたん、昏睡状態に入ったそうだ。
さて、それから。
私が体験したことのない、長い、長い2日間が始まった。
病院で霊柩車を待つ。そして、お兄さんの村の遺体安置場に遺体を保管。
お兄さんが亡くなったのは午後の1時ごろだった。 暑い、暑い、暑い日だった。
2度とあの日の憎たらしいほどの暑さを忘れられない。
お兄さんは、遺体安置場のガラスの部屋に入り、花も飾られた。
翌日の夕方7時にお墓に行くまで、ここで家族が別れを惜しむ。
これから書くことは、スペインの地方や、村の習慣や、家族によって違ってくることだろうから、必ずしもスペインの習慣が全てこうだ、とは思わないようにしてください。
午後3時が過ぎた。。。4時。。。5時。。。6時。。。7時。。。8時。。。夜の9時。。。
8人兄弟はお兄さんの前から1歩たりとも離れない。
40度を超える暑さの日にたまに水を口に含むくらいだ。
夕方からは、村の住民もお兄さんに会いに来る。人の面会が絶えない。
ずーーーっとお兄さんのことについておしゃべりをするのだ。
兄弟が何も口にしていないのに、お昼も食べていないわたしは、お腹がすいたこと自体が恥ずかしかった。 でも、空いてしまった。。。。。。。
夜の11時になった。 これは、明日の夜7時の埋葬まで続くんだな、と思ったので、旦那に「何か口にしておいたほうが。。。」と、言い終わらないうち。
私は地球の裏側まで飛ばされるくらいの勢いで怒られ、そして、自分は世界中生き物の中で一番くだらない虫よりくだらない存在のように思えた。
旦那は、怒っていたが、半分泣いている。 私が代弁するなら、「こんなときに、そんな事を言うなんて。。。」という表情。 もう私は失敗したのだ。
「ごめんなさい」の一言が喉から出ずに永遠の空白になった。
彼らの喪に服すやり方なのだ。 リュートにもいろいろある。 この家族はこういう方法。
「兄弟で夜の番はするから、一休みして朝の7時くらいにまたおいでよ」と気をとりなおした旦那が言ったので、もちろん私はそうすることにした。無言で追い出されたのだ。仕方ない。
夜12時から朝の6時くらいまで自宅で私は休んだ。私の実の兄に電話して私のショックを話した。
「この国の人たちは本当のキリスト教徒だからね。」と言葉少なげに私を慰めてくれて、私ももう口から出てしまったことは、取り返せないので、気を静めて休んだ。
翌朝6時。
私がまた出かける用意をしていたら同時に旦那も家に到着した。
「シャワーでも浴びて、コーヒーでも飲んで一緒に行こう」
空白の「ごめんなさい」は一応彼の心に届いたのだろうか。
途中でコーヒーとトーストの軽食をとって、またお兄さんに会いに行った。
朝7時。
アントニオの前に兄弟8人がまたそろった。 女姉妹3人はずーっと、ずっーっと泣いている。こんなに悲しい場所に長時間居合わせたことはない。
胸にナイフをさされたまま、2日間が過ぎていく。 実の父親の時も痛かった。
でも、痛みが違った。 初めて外国で家族、というものが亡くなって、全てが初めてのショックだ。
きっと、日本の家族を持った外国人がこういう経験にあってもそうだろうと思う。
え??遺体を燃やして灰にしてしまうなんて!と大ショックかもしれない。
更に長い時間が続く。 でも、確実に時計はちょっとづつ夕方7時に近づいているようだ。
7時に埋葬、とういことは必然的に6時に教会でミサがあるらしい。
5時に移動するらしく、急に動きがあった。お兄さんをガラスの部屋から移動するのだ。
女姉妹が叫ぶように、切り裂くように泣き出した。
ミサでお兄さんとのお別れの儀式があるのだ。
暑い、暑い、暑い。。。坂道を1,5キロくらい下っていく。 お兄さんを男兄弟が教会まで肩に乗せて
運んでいく。ゆっくり、ゆっくり歩いていく。
サマナ・サンタだ。 そして、キリストの処刑の日を想像させられる。
暑い中、お姉さんの声、アントニオの名前を叫ぶ声だけが響く。
ミサが終わると、またお兄さんをお墓まで担いでいく。
今度は1,5キロの坂道を登っていく。 暑い、暑い、暑い。。。
午後7時。
埋葬するお墓についた。 お金をかけると地面に埋葬だが、お兄さんの場合は
大きい下駄箱式のところに入った。
またショック。 え?これで終わり?
でも、ショックは更に続く。 お兄さんの棺桶が入ると、まるで私は関係ないです、という葬儀屋が待っていて、お兄さんの下駄箱にブロックを置いて、またブロックを置いて、そしてセメントで蓋をしだしたのだ。
疲れているのに目の瞳孔が開きっぱなしになって心臓がばくばくするかんじがした。
正直な感想は。 え?おにいさん、ここでミイラになっちゃうの?
灰になる日本人の私には大ショックだ。 知ってはいたけど、今日見てしまった。
セメントで蓋をするあたりから、周りの様子に変化があった。
ここで、一応全ての儀式は一段落らしい。皆、何も言わずに、思い思いに家に
帰っていく。 目でなんとなく合図してどんどん人が減っていった。
お姉さんたちはブロックを置かれたときくらいにもう家路についていた。
確認もあってか、男兄弟が最後のほうまで残っていた。
さてこの日から。 2週間ばかり、頭からいろいろなことがぬぐえなかった。
一番考えてしまったのは自分の体の行き先である。
「死」を考えるな、縁起が悪い、と旦那には怒られたが、ちょっとそれとは違うのである。
単純に自分の体の行き先、なのだ。
私は、スペインの住民票をもっているから、もし、40年先だろうが、明日だろうが、私が死んだら、私は、自動的に旦那の村の旦那の家族のお墓に入るのだろう。
そこで、考え込んでしまった。私は旦那の両親の村との縁といえば、旦那と結婚したというだけで、そこでミイラになるのに抵抗があるのだ。
入る場所はスペインでも日本でもいい。(理想は半分ずつ)
とにかく、焼いてほしい、灰にして、骨壷にいれてもらいたいと思った。
でも、それをどこに置くのだ?とかっていう次の問題については、まだ考えていない。
スペインの家庭では家には置いてもらえないだろう。強く希望すればなんだけど。。。
そこまで希望する気もあまりない。
日本の石川家の墓に自然にすーっと入れるのかとも思ったが、そういう訳でもない、ということも今回のことでわかった。 お寺のお墓の管理料を支払っている親戚がなんらかの理由で拒否すれば、入れないし、お寺は何かと管理するのが大変と聞いた。
次に日本には霊園、というのがあると知った。お寺よりは管理料が安いそうだ。
それでも、その管理料を旦那がスペインから支払う?そういう面倒な仕事を残したくもない。
とどのつまり。
無事にお墓とかっていうものに、入ったとしても、管理してくれる人がいないと全てだめ、なのである。
つまり、子供がいるとか、養子がいるとか。
そいういうのも、まだ私にはいない。
じゃあ、お父さんとお母さんと一緒にいれてくれればいいや。 あとはどうなってもいいかな、とも思った。 しかし、実は故人である父は、プロテスタントの信者だったため、横浜の実家の近くの教会にいる。 そして、今元気な母は、当然のごとく、お父さんと一緒にしてね、と言っている。 彼女もプロテスタントなのだ。
私は、お父さんとお母さんと一緒にいるためには洗礼とか受けなくてはならない。
うーん。 これもだめだ。
という訳で、このあたりでもうネタ切れになってしまった。
とにかく、スペインでも灰にしてくれる場所がある、というところまでは確認した。
問題はその灰の行方だ。 半分はアルハンブラ宮殿のヘネラリフェに撒いてもらって、半分は壷に入れて旦那の両親の村へ、というのが第一希望ということで収まった。
旦那は今のところ一切そういう話をしたがらないので、これもやってもらえるのかどうかわからない。 こっそり手紙を書いておくしかない、ということになった。
もし私に先に何かあったら、日本に私を運ぶのだって大変だろうと思う。
そんなこんな。 いろいろ2週間くらい、頭から離れなかった。
そんな夜。 寝苦しい夜がやってきて、熱がでたようになり、うなされた。
アントニオ、お兄さんが夢に出てきたような気がした。。。。。。。。。。。
それから。2〜3日して、急に旦那もお兄さんのお墓を見に行くというから私も一緒に行った。
そうしたら、なんと。。。。。。。。。
2週間たつのに、葬儀屋がお兄さんのお墓に名前の石を入れてなかったのだ。
セメントの蓋のままだった。
急いで葬儀屋に渇を入れて、お墓を完成してもらった。
不思議なもので、私はその日から、落ち着いた。
私は特に霊感とかそういうのは無い。
この人生で一度だけ、白いお化け(霊感の強い友人説では、よいお化け)が私の前を横切って足を踏んでいったことがあるだけだ。
まあ、そんなこんなで。今回、無縁仏とか、そういうのも、考えるきっかけになった。
なんだか、暗い話題でとお思いでしょうが。
なんせ、日本から遠いところで暮らしてるもので、急に気になってしまいました。
では、アントニオよ、安らかに、永遠に。 |