ちょっと前のわたしたち

【No.248】12月6日 かおる * 【No.249】12月13日 Norie

No.249

12月13日 Norie(バリャドリード)

 久しぶりの「最近の私たち」に登場で、いきなり一年を振り返ることになるのだが、個人的にいろいろあった2005年だった。

 6月はじめに一年の闘病期間を経て、父が逝去。胃ガンだった。
175センチ80キロの体格を誇っていた父が、手術後は急に痩せ、大きな目だけがぐりぐりと輝いているようになった。 毎日、インターネットでビデオチャットをしていて、日に日に痩せていく様子がわかった。
春先にインフルエンザにかかり、その後はパソコンの前に座ることもできなくなり、いよいよかな、と一歳半の息子を連れて帰国。

 最後のお見舞いになるかもしれない、と覚悟はしていたものの、黄疸が出て、風貌も変わってしまった父を見たときはショックだった。
息子は怖がって近づけなかったくらいの変わりようだったのだ。

 よく効く痛み止めがあるとはいえ、ガンの痛みは、人の話し声すら刺さるように感じることがあるという。 父は最後まで、痛いの一言も言わず、死の恐怖を語ることも、悪くなる一方の闘病生活に弱音をはくこともなかった。 デジタルカメラで植物の写真を撮り、日記をつけ、「今日を楽しく生きる」というスペイン流が気に入っていると話していた。 そして、孫のようにかわいがっていた幼なじみの子どもたちに「立派になったな。 なんか食べていけ。」というのが最後の言葉になった。

 大人しい人だったし、特に一緒に遊んで楽しかったとか、そういう思い出は少ない。 家族のためにマジメに働いて、趣味といえばお酒くらいで地味な人生というのかもしれない。

 まだ元気だったころ、狭い我が家には似つかわしくない、滅多に誰も弾かなくなったグランドピアノを売ってしまおうか、という話になったんだそうだが、「売りたくない。大きいピアノがあるんだねぇ、と言われるだけでうれしいんだ。」とめずらしく父が断固反対したのだそうだ。 たぶん、あのピアノは父が家族を愛してきた証であり、生きてきた証であり、誇りでもあったのだ。そんなことを父がいなくなってしまってから思ったりする。

 「あなたが空しく生きた今日は、昨日死んでいった者が、あれほど生きたいと願った明日。」 という、とある友人のサイトで見つけた言葉をしっかり心にとめて、父が願ったように毎日楽しく生きていこうと思う。

 ちょっと暗い話になってしまって恐縮。

 みなさん楽しいクリスマスを、そして良いお年をお迎えください。

 

No.248

12月6日 かおる(マドリード)

 人恋しい秋というのか・・・

 私が住むのはスペインには珍しくピソではない。 裕福な人たちが住むチャレーと呼ばれる1戸建てでもないが、昔に作られた長屋なのだ。

 家のちょうど前の通りは車が入らないので、子供たちの遊び場になり、数年前までは斜め向かいの女の子はこの道をパンツ1枚で走り回る(4歳くらいまでは夏はいつもそうしていた)ような状態だった。 もう大きくなってきたから、さすがに裸では遊ばなくなったけれど。 そして、普通の新興住宅地と比べて人との付き合いがある。

 この夏には2軒隣のおじいちゃんが亡くなり、おばあちゃんは未亡人となった。 近所のおじいちゃん、おばあちゃんたちはこの一人住まいになったおばあちゃんを誘って家の外であるこの道に椅子を持ち出して、毎日長い長いおしゃべりをしていた。 おばあちゃんはおじいちゃんが死んでしまってから、一気にやせてちょっと老け込んでしまったけれど、毎日孫が訪ねてきたり、近所の人たちに囲まれる生活で笑顔が戻ってきたようだ。 先日、「ほら、あそこから挿したカニサボテンがきれいに咲いたわ。おじいちゃんが死んだときにもらったの。」と見せてくれた。 この車の通らない道で。

 2週間ほど前には5軒隣のAが死んだ。 彼はゲイだった。 ずーっと連れ合いと住んでいたが数年前、その連れ合いと別れてから生活が乱れ始めた。 私はここに引っ越してきた当初、彼をゲイだとは知らなかったが、(近所のみんなは知っていたが、あまり自宅にいない私は近所の人をそんなに知らなかったのだ)ある日、またこの家の前の道で呼び止められて、その当時の彼とうまくいっていないことなどをいきなり告白されて驚いた。

 その話を聞いてあげたからか、彼は近所一帯に「あいつは、ほんとうにいいやつだ」と吹聴してくれたのだった。 毎日酒に溺れて、いつ見ても酔っ払いで、仕事も失っていく姿は見ていて辛かったが心の中で立ち直ってくれることを祈っていた。 とっかえひっかえに連れが変わったりする生活が続いていたが、3ヶ月ほど前からか、私はよくは知らなかったが新しい連れ合いができたようだった。 が、常習になっていたドラッグはいきなり彼の命を奪った。

 昔、同じような形で友人を失ったことがある。その彼の場合も特に自殺しようとか思ったわけではない。酒が進みすぎるように、一時のコントロールが効かなかっただけなんだと思う。過度のドラッグによる中毒だった。Aも最近は充実してきていたみたいだのに。彼の遺族は、転がり込んできていたらしいこのAの連れ合いに無償で家を貸してあげることにしたみたいだ。私と彼は友人というほどでもなかったが、心配していた人がその悪い心配どおりになってしまった、そして昔の友を思い出してやるせなさを感じた。

 そうやって、ウチの前の通りは車が通らないからか、平屋で一歩家をでるとどこの誰だかわかるからなのか、そんな近所のドラマにあふれている。 ここ数日の雨と寒さで街路樹(いっちょうまえに街路樹はある)のプラタナスの葉が掃いても掃いてもキリのないほどに落ちている。

 今朝は朝から隣のおばあちゃんが掃除をしている。 彼女も寂しがりやだ。 通りかかるといくら急いでいるそぶりをしても、絶対に10分は引き止められてこの通りに市の落ち葉掃除の人が来てくれないことについての文句を何度も聞かされる。 この季節は毎週(私が知っているのが週末だけでおばあちゃんは毎日なんだろう)それだ。 今朝おばあちゃんが掃きためた落ち葉は大きなゴミ袋6個にもなっていた。 文句をいいながら、でも彼女は自分では気がついていないのだろうけれど、ほんとうは、そうやってこの道で人と話をしたいのかもしれない。 秋も深まってきた。

 

 

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