ちょっと前のわたしたち

【No.244】11月1日 Taka * 【No.245】11月15日 Meche

【No.246】11月22日 Maki * 【No.247】11月29日 Sara

 

No.247

11月29日 Sara(グラナダ)

SARA BARAS(サラ・バラス) IN GRANADA

 こんにちは。今日もフラメンコの話題をば。
私の頭の中はフラメンコで一杯です。 逆に言うと、それを取ると空っぽになるのではないかと不安がよぎります。  今日は、フラメンコ界のアイドル、スーパースター、サラ・バラスの新作を見たのでご紹介します。

サラ・バラス
フラメンコは儲からん。 そりゃ上手く頭を使って儲けてる人もいるが、プロのアーティストは皆苦労している。 下手したら、技術やフラメンコ度だってサラより上回っているかもしれないプロ中のプロだって苦労している。 フラメンコは芸術だ、なんだ、といってもこの世界も芸能界なので、商業ベースに乗っけていかなければ面白いようにはお金は入ってこない。

 だいたい、フラメンコは大劇場でマイクを使いはじめた時から純粋なものを表現するのはすでに難しいのだ。 前置きはともかく、今、21世紀のフラメンコ界で2年先までの予定が真っ黒というアーティストはとにかくサラと、ホアキン・コルテスだろう。 実力とカリスマ性を充分に備えたスーパーアイドルだ。 純粋フラメンコを求める方、洗練されたものを求める方、いろいろ好みはあるだろうが、いろいろ言う前にとりあえずこの人たちは見たほうがいいだろう。

 サラはアンダルシアのカディスの出身で、フラメンコ好きの母の持つ舞踊学校でフラメンコの技術を磨いた普通のスペインの女の子です。 自分の舞踊団を持ったのは7年くらい前と記憶するが、その前にやるべきことはやっている。 小さい頃から地元で踊り、その踊りが例えば、ハビエル・バロンとかの目に留まり、そこでしっかり舞踊団の修行をしている。 10年以上前にはそのハビエル・バロンのグループの公演で日本に来て脇役を務めていたのを覚えている。

 "ハビエル・バロンと仲間達"だった。 私的な感想を入れておくと、その時の彼女の踊りの方が今より好きだ。 でも、今の彼女には、5千人の観客のハートを一気に掴むテクニックがあるのだ。

ソールド・アウト
とにかくすごい人気、と言っておこう。 グラナダの一番大きい劇場3千人だか5千人入る劇場のチケットが1週間前にはソールド・アウトになった。これはこの小さな街ではけっこうすごい。

 実は私も甘く見て、1週間前に行ったら、もう無かった。。。。。。。
当日までは仕方なし、と思っていた私も、当日になってやはり慌て、サラの舞踊団の中にマドリード時代に共演した人がいたので、我ながらセコイ、と思ったが電話帳から探して電話したら楽屋から入れてくれた。

 「サラ 恐るべし」と思った。 マドリードに住んでいた時代にも彼女の作品が4ヶ月くらいのロングランになった時もそう呟いた。 どんな有名なアーティストでも、そう、あのホアキン・コルテスでもせいぜい2週間だか1ヶ月だったのに。 フラメンコで4ヶ月って化け物ですわ。

 今の“スエニョス"は彼女の4作目で、確か間違いでなければ1作目も“スエニョス"。2作目は“フアナ・ラ・ロカ"で3作目が“マリアナ・ピネダ"です。 つまり、今の"スエニョス"は、1作目を深く掘り下げたものと理解してもいいだろう。

 3作目の"マリアナ・ピネダ"はDVDでも発売されていて(ごめんなさい日本では?)これもとにかく置いておけば売れる、というのがフラメンコショップの人の談。

"スエニョス"
スエニョスとは、日本語で単純に“夢"。前作までの物語性のあるものとは違って、フラメンコのナンバーを淡々と踊りつなげてゆくというシンプルながら2時間弱のフラメンコへのトリップ、つまり夢、に招待されるというわけである。

 先ずいい所から書いておこう。
とにかくサラ・バラスは綺麗だ。 私も好みではないが、踊り手として、女性として美しい。 彼女が下着やストッキングのモデルもこなすことを書けば理解していただけるだろう。 そして踊りのテクニック。 ほとんど男性に近いといってもいい、スピードと力のある足さばき。 2時間弱、たっぷり踊っても踊っても疲れを知らない。 切れのある回転。 美しい手の動きや体の動きを見せるところはきちんと見せておいてちゃんと観客を騙すことも知っている、5千人をいっぺんに泣かせ、笑わせるのにはほんとうに驚いた。

 一番の見せ場はサラの踊るファルーカという曲だった。 これは、フラメンコのナンバーの中でもどちらかと言うと男性が踊るのにふさわしいナンバーで、その男性が踊ってみたところで難しい曲です。 静と動の世界の芸術というべきか、そういうものを理解していないとただ踊ったところでただの足の音の多い曲で終わってしまうだろう。 これを、サラは闘牛の世界にヒントを得てちゃんと自分のファルーカの世界を築き上げ、そこから一歩も出ることなく踊り語ってくれた。

 最後にソレアという曲をマントンで踊ったのもなかなかよかった。 ファルーカほどではなかったがインパクトがあった。 マントンが高級だった。 笑。

 私的に嫌いなところも書いておこう。
振り付けがアカデミックすぎる。 意外性にかける。
すごい、速い、強い、と書いたサラの足だか、反対に言うと、速い、強いだけでワンパターン、とも言える。 バタバタバタバタ、、、、、、という組み合わせの足が多いのだ。

 女らしく綺麗に見せる、、という技術としてサラは知っているが、彼女自身は実はちょっと冷たいのではないかと思う。 踊りが冷たいのだ。 クールでかっこいい、とも言える。 でも、冷たい、と私は思う。 だから、ファルーカが彼女にあうのかも、とも思う。男性が冷たい、と言ってるのではない、男は強さも弱さも中にしまって生きている感じがする。 そんな感じがサラにあっているのではないかと思う。 足の速さや、曲に迫力を出すためなのだろうが、曲全体のスピードが早い。 踊りにとって効果は抜群だが、歌のファンとしては、歌をじっくり聴く感じができない。 なんだかあっという間に次の展開になっているのである。 これはギターに関しても同じ。 踊り中心に舞台を組み立てる今のフラメンコは皆、こんな感じになってしまう。 踊りと歌、ギターが同等の舞台は今やなかなか見ることはできない?

 と、いろいろ悪批評も書いたが、これを含めても、やっぱり1度は見たほうがいい、サラ。 笑。 なのである。

 1度は見たほうがいい人シリーズ。
ホアキン・コルテス。 ショーアップされた生粋のジプシーの踊り。 ことしの12月には日本公演があるはず!

 そして、エバ・ジェルバブエナ。 彼女の公演も来年日本であるのでは?
マヌエラ・カラスコ。 ギターではパコ・デ・ルシア。
注意。 この名前は、ベテランだから、とか純粋だから、とかという基準で挙げているのではないです。 とにかくフラメンコ界の凄い奴ら、ということです。 純粋だとか、名人芸とかって別に挙げていけばいろいろです。 御了承の上。

 では、皆さん、年末までのラストスパート、頑張りましょうね。

 

No.246

11月22日 Maki(横浜)

 柿が美味しい季節だ。

  自宅の庭、私の部屋の窓のすぐ外に柿の木がある。私が生まれるずっと前に、亡き祖父が植えた木だという。 私が小学校の頃、家の建て替え時に場所を移動した後はしばらく実がならなくて、もうだめかねー、なんて話していたのだけど、自然の力というのはすごいもので、ちゃんと新たに根付いて、数年後、それまでと変わらぬ美味しい甘い実を実らせるようになった。  だからうちではその数年間以外、市販の柿を買ったことは一度もない。

 毎年、この時期になると我が家では柿の収穫作業をして、うちだけでは食べきれないので隣近所に配ってまわる。  同じように柿の木があるご近所さんからも柿が届いたりして、味の違いを楽しむこともある。
昔は私や父がよくバケツを抱えて木に登っていたのだけど、さすがにもう怖くて誰も登れないので、柄の長い刈り入れバサミ(長い棒の先端がハサミになっていて、手元で 操作できるもの。 しかも切った実が落ちない仕組みになっている!)で獲っている。

 今年もなかなかの豊作で、オレンジ色の実をたわわに実らせている。 晩秋の澄んだ青空に映えるオレンジ色の実と深緑の葉のコントラストは、スペインでよく見たオレンジの街路樹を思い出させる。

 そういえば、日本の柿がそのまま"Caqui"という名前でスペイン語になっている話は有名だ。 ちゃんと辞書にも載っているし、スペインの果物屋さんでも目にすることができる。 同じように、スペインでは日本の梨も売られている。 洋梨ではなく、まんまるい日本の梨だ。 名前も、洋梨の"Pera"ではなく"Nasi"として。

  昔私が住んでいたスペインの小さな村のスーパーでも"Nasi"が売られていたのを見たときは本当に驚いた。  "Caqui"と混同したのか、商品札の名前が"Naqui"になっていたけど。(笑)

 日本産のものを輸入しているのか、それともすでに苗木ごとスペインに移植されてスペイン産のものが売られているのかはよくわからないけど、日本の果物が日本語の名前のままスペインで市民権を得ていることは、スペイン好きの日本人としてはちょっと嬉しかったりするのだった。

 

No.245

11月15日 Meche(京都)

 そして、ルーマニア。

 振り返ると、初めてスペインへ行った20歳のときは本当に無謀だった。
インターネットなんて便利なものがなかったから、本を読んだりしてかき集めた情報だけをたよりに、たいした知識も無いまま、スペイン行きの電車に乗るためフランス行きの飛行機に乗った。 そして、フランスの空港で無事入国を果たした私は、今度はどこに行ったらいいのか分からなくて、スーツケースに腰をかけたまま2時間ほどぼんやりしていた。 そしたら、その様子を見ていた親切なフランス人が声をかけてくれて、なんとか空港を後にすることができた。

 その後、バレンシアのホームステイ先に到着するまでのことは、今思い返しても笑える。本当にたくさんの人が、ろくにスペイン語もしゃべれないのに、ステイ先の住所を手にウロウロしていた私を助けてくれた。
帰りは帰りで、「リコンファームができてないから飛行機には乗れないよ」とスイスの空港で言われ、本気で泣き崩れた。 人前で泣くのは嫌いだけど、ちゃんとリコンファームしたのに何故?という絶望感からボロボロと涙が溢れた。 まっ、おかげでチケットを用意してもらえたけど。
無知と若さはほんとに凄い!今の私なら、とてもじゃないけど行けない・・・無知のままだけど若さが足りないから、ぜったい無理!

 で、そんなこんなで今回のルーマニアは根性無しの旅でした。
個人手配したガイドのイレーネと運転役の彼女のダーリンの案内で、母と2人、南から北まで車で9日間約4000キロを移動。 自力感は薄かったけど、ツアーや自分だけではなかなか行けないような小さな村、紅葉できれいに色づいた渓谷をたずねて回った私たちは、その美しさに何度もため息をついた。

 社会主義体制が崩壊して、まだたったの15年。きっと堅苦しくて暗い国だと思っていたルーマニア。
でも、受付時間が終了した世界遺産の教会に、こっそり潜入して私たちを案内してくれたガイドのイレーネは「私たちは、社会主義体制のなかで暮らしをしてきたけど、実はユーモアが好きでとっても明るいのよ、意外でしょ。 でも、貴方たちだって私にしたら意外だった。だって今までガイドした日本人は、みんな大人しくてあまり笑わなかったんだもの。 なのに貴方たちはおもしろすぎる」と言って笑った。

 そのイレーネは家族と共に、私たちのルーマニア滞在最後の夜、自宅でバーベキューパーティーを開いてくれた。美味しい料理とお酒ですっかり盛り上がた私に「イレーネがガイドしたお客さんを家に招待したのはこれが初めて。 だって、仕事が終われば、終わる関係なら深入りしない方がいいじゃない。 彼女はそう考えてるんだと思う。 ホントは寂しがりやなんだよ」と義理の娘が言った。 母と私は、胸が締め付けられると同時に新しい友人を得た喜びを感じた。

 こうして、言葉の壁を乗り越え笑い転げた私たちの旅は、無事終わりを告げた・・・と思ったら、帰りの飛行機が遅れ、乗り継ぎに見事失敗。 ウイーンから関空へ行くはずの私たちは、なぜか北京へ送られそこから帰国するハメに。 トラブルの中、飛行機会社のカウンターの女性の態度の悪さに頭にきて、失っていた根性を振り絞り、片言の英語で勝負に出ていた私は、心の底で20年前の旅行を思い出してた。

 やっぱり、旅っていいです。

 

No.244

11月1日 Taka(東京)

 昨日、バルセロナの友達から、もうサマータイムが終わると聞いた。 それを聞いて、げっ私が滞在していたときからもう6年になるのかとしみじみ。 いつもこの時季になると夏の終わりのあの帰国の日のことを思い出しながら、歳月の流れの速さを知る。

 10月にはまた実家に帰って友達たちと海三昧な日々を過ごした。 岩場にあがってワインを飲んだり、犬と走り回ったり、昼寝をしたり。 子供の頃からの友達と会っていると心が落ち着く。 たわいもない話で盛り上がり笑い、叫び、泣き、また笑う。ワインを飲んでいると焼酎を飲めと怒られ、焼酎を飲みはじめると恐れられる。 何人集まっても気取った話などなんにもしない。 あぐらをかいて、ねじりはちまき姿で青い空と海を眺めながら、過去や未来、現在のいろんなことを話す。 釣りをはじめる者もいれば、泳ぎだす者もいる。 秋真っ只中だったその日はタンクトップでいても暑い一日だった。

 今日から11月になった。 つい先日2週間ばかり怒涛のように忙しい日々が続いた。 何時に寝ても朝は5時起き。 この波を越えたら何しようかな〜っと、一息つくたびに現実逃避。 妄想の世界に突入した。 今度のスペインはいつ行こうかな〜。 うーん冬はつらいか〜。 ならばキューバか〜なんてことを考えながら、いつのまにか仕事は一段落ついた。 波が引いた夜は、友達とスペインバールを3軒もハシゴした。 2軒目の店は恵比寿で、最近、もともとあったレストランの1階をバール専門に改装しオープンしたばかりの店。

 そこで立ち飲みしていると、気がつけば私たちの他にはもう2人、セビージャから来たというフラメンコのアーティストだけになっていた。 彼らはしきりにギターを弾き、歌っていた。 私はフラメンコを踊らないし、よくわからない。 でも観たり聴いたりするのは好きである。 ましてバルにいるときにそこがペーニャ状態になるのは大歓迎だ。 その人たちがいったい誰なのかもわからなかったが、うぉ〜さすがプロ!っていうか、さすがヒターノの貫禄といった感じだった。 一人はずーっとギターを弾き、歌い、もう一人はパルマを鳴らしながら、カウンターをカホン代わりに叩いていた。 彼らはイキイキとしていた。 フラメンコが好きでしかたない、もしくは空気のようなものという感じでかっこよかった。

 しかし、ギターを置いたらただのオヤジ……。通りすがりにパンッ!とその一人からお尻を叩かれた私は、ビックリして、ちょっと何すんのよ!と問いただした。 すると、「君はフラメンコをやらなければならない」と睨まれた。 「フラメンコをやっている日本人は多いけど、お尻がなさすぎる。だから君はフラメンコをやりなさい」と。 ガーンである。 太ったり痩せたりが激しい私だが、いまは人並み=普通だと思っていた矢先。 グラナダのクエバで踊っていた巨体のおばちゃんが脳裏をかすめた。 まぁ、私の普通はあてにならないことは自分でもよくわかっている。 スペインに住んでいたとき自分が大太りしていたときも、ちっとも太っただなんて自覚していなかった私としては、自分にとっての“普通”がいかに危険なことかは容易に想像できる。 ちっ!

 ということで今日から私はダイエット。 とはいえ、スペインバールのはしごは面白すぎてやめられない……。

 

 

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