7月6日、ラストスパートで非常に盛り上がりを見せていた、2012年のマドリード・オリンピック誘致作戦が失敗に終わった。
個人的には最初はまったく興味もなく、また工事や物価高や弊害がでるなぁ、と否定的な面ばかり目に付いていたけれど、最後の盛り上がりを見ていると、マドリードに決まらなかったことに、残念だったような気もする。
本当に残念だったのは、翌日のロンドンのテロだった。 これは、オリンピック開催決定に直接関係せず、先進国首脳会談「G8」に与えるダメージなのだろうけれど、タイミングとしては、お祭り騒ぎをぶち壊すのに十分な効果となった。
思うに、世界に非寛容とテロ問題があふれていることに、いまさらながら、がっくりきてしまう。
瑣末な例しかあげられないが、マドリードの落選にもそんな非寛容の要素がたくさん見られたのだ。
何かというと、マドリードが落選したのは、アメリカ支持派の得票を得られなかったことが明白になっているから。
選定方法は今回知ったのだが、1候補地ごとの落選の後、残った候補地に対しての投票がおこなわれる。ふたを開けてみると、最初のモスクワが落選した後の2回目の得票ではマドリードがダントツ。 が、ニューヨークが落ちた3回目の投票ではマドリードはただの1票も伸ばすことができず、落選した。
これでニューヨークを支持していたアメリカ寄りの層が、マドリード(パリも得票があまり伸びていないが)を誰一人として選ばなかったことが明白になったわけだ。
これは明らかに、新しいサパテロ政権がアメリカ追従の路線を放棄し、早々にイラクから撤退したことと無関係ではない。
オリンピックのために準備したプロジェクトがよく出来ているかとか、ほんとうにオリンピックの開催のためによいか、などは二の次で国際関係における感情が左右するのだ。改めて子供のけんかみたいだ、と驚いた。
ひどかったのは、この誘致失敗を機会に首相を攻撃する、野党だった。サパテロ首相がアメリカをもっと重要視していれば、マドリードは勝利したかもしれなかった、と。 ばかばかしい茶番のあげくの誘致落選に、さらに茶番の批判を重ねたのだから。
野党といえ、首相の援護射撃も受けていたガジャルドン市長はこの泥仕合にきっぱりと判定を下した。 「今回のことで、責任のなすりつけあいは一切するな。 責任は一切自分が負う」と。 これで救われたような気持ちにはなったが、なんと、後味の悪い批判だったことか。
今回マドリードの誘致作戦を見ていて、なかなか気持ちがよかったのは、市を引っ張る前与党で現野党のPPと現与党のPSOEはもとより左系のIUも、イデオロギーを超えて力をあわせていたことだったと思う。 それが少しづつ、反対派だった市民の感情も和らげていったような気もしている。
少しの譲り合いをすることで協力が可能なのに、その少しの利益や個人的な感情に左右されることで不寛容が生まれ、対立が起こる。
政治的な茶番を、タブロイド紙的なスキャンダルにみながらつくづく思った。
少しの寛容。 みんなが持てば、少しはなにかが変わるのかも、しれない。 |