ちょっと前のわたしたち

【No.165】1月5日 TOSHIO * 【No.166】1月13日 むく
【No.167】1月19日 Maki * 【No.168】1月27日 かおる

No.168
1月27日 かおる(マドリード)

 スペインでは、クリスマス、それと1月のレイエス・マゴスと呼ばれる三賢人の日(公現祭)でたくさんのプレゼントが行き交う。商店やデパートは国民そろってプレゼント買出しで大混雑となる。国民総出でプレゼント買出しに奔走するのだ。決して大げさでなく。

 この時に多くプレゼントされるのが、ペットだというニュースを聞いた。実際、犬の散歩に出かけると、1月を過ぎてから、やたらとかわいらしい子犬の姿と子供連れの姿が目に付くようになった。たぶん、子供たちがレイエス・マゴスへお願いして、それがかなえられたのだろう。

 日本では小さいときにしか犬と共同生活したことがなかった私だけれど、こちらに来て、今の同居犬と暮らし始めて4年。スペインのペット事情もわかるようになってきた。
 日本と比較してシステム的に進んでいるというか、開かれていると言われる欧州のペット事情だけれど、その欧州標準にスペインはなかなか追いついていない、ということをつくづく感じる。

 イギリスなんかに行くと、ちょっとしたパブや昼食を取りに入った店の中に、どーんと大きな犬がカウンターにいたり、客席に座っていたり、足元に寝そべっていたり、ということがままある。犬嫌いにはあまり好ましくないのだろうけれど、私にはとてもほほえましい光景。犬もきちんとしつけが行き届いていて、お客に恐怖心を与えたりすることはまずない。
 スペインの場合、人間とペットの間の線引きがかなりはっきりしている。まず車がないと、ペットの移動に困る。たいがいの猫はバスケットなどに入れて公共交通機関に人間と一緒に乗ることができるが、ほとんどの犬が当てはまる「4キロ以上の動物」はいくらケージに入れていても公共交通機関で人間と同じ車両には乗れないのだ。つまり別に貨物扱いする必要がある。
 あとは、宿泊施設。一般のホテルでペットは禁止、というのはわかるが今はやりの休暇を過ごすためのカサ・ルラル(田舎の家風の宿舎。家を1軒丸ごと借りるというシステムも多い)なんかでも、「犬がいるけれど」というと「犬は受け容れていません」と返答のあるところが半分以上ではないか。

 街中のレストランにつれて入れないことは当然としても、田舎をつれて歩いても、食事するところにも気を遣う。せっかく犬と小旅行を楽しもうと思ってもなかなか楽しむことができない壁にぶち当たるのだ。

 そのためか、バケーションのシーズンになると捨て犬、捨て猫が急増する。特に捨て犬。アクシデントで生まれてしまった子犬を放置するのではなく、成犬をもてあました飼い主が遠くの町まで捨てに行くのだ。私も今までに3度そういう犬を拾ってしまったことがある。

 最近散歩でよく見かける、まだ足を絡めながらよぼよぼ走る子犬と、それを可愛くって仕方ないと騒ぐファミリーに出会うたび、ほほえましくも、今までの夏の経験をいつも思い出してしまう。バケーションで犬をもてあましても、決してその子たちを見捨てないでね、と。



No.167
1月19日 Maki(横浜)

 2回目の入院から戻りちょうど4週目の1月13日、再び病院へ。お目当てはダ・カーポのコンサート。夫婦デュオのフォーク歌手ダ・カーポの奥様のほう、榊原広子さんが1996年に私と同じ病院で同じ病気(変形性股関節症)の両足手術をしたことがあり、毎年1月に「ありがとうコンサート」が開かれるのだ。そのために、1ヶ月検診もまだなのにわざわざ足を運んだのである。

 病院方面に車を走らせると、澄んだ空に見慣れた丹沢の山々が見えてくる。正面玄関から病院を見上げると、青空をバックに、年季の入った茶色い建物のコントラストが懐かしかった。4週間ぶりの病院。春から冬までの間、2回の手術入院で合計131日間を過ごした場所だ。巣立った母校に戻ったかのようにほっとした気持ちになる。

 病院スタッフに「あれ?もう検診?え?コンサート?わざわざ?」と苦笑されながら、お昼を食べに友達と食堂に行くと、すぐ近くにダ・カーポが!ごく普通の服装で、ごく普通に座って、ごく普通のメニューを楽しそうに食べていた(当たり前だけど)。サインのお願いにも快く応じてくれて、リハビリの話までできた。日付を間違えて「あらっ!」と慌てて'03年を'04年に直していた広子さん。ニコニコ笑いながら話を聞いて励ましてくださったご主人の政敏さん。同じ病院で同じ病気と闘ってきたということも、同じ横浜在住ということもあって、とても身近に感じられた。
 思えば、入院を控えて色々と不安が尽きなかった1年前にTVで彼らの番組を見て、足のハンデのかけらも見せずに登山をする広子さんの姿に勇気付けられたものだ。そのすぐ後に闘病記を記した彼らの著書も買った。本の内容全てが自分のことのように感じられて、ページを開くたびにいつも勇気をもらってきた。その本をちゃあんと持参して、サインを頂いたのだ♪

 今年で5回目になる病院コンサートの会場は、2階の研修室。入院患者はもちろん、退院患者や外来患者、付き添いの人や病院スタッフなど200人近くが集まった。入院中の仲間もたくさん来ていて、懐かしく再会のおしゃべりに花が咲く。スタッフ手作りの舞台の正面には、車椅子の人が一番前に、その後ろには患者さんを優先して椅子が用意されていて、先生方は後ろでそっと立っている。「私が最初に手術をした1月に毎年こうしてコンサートをすることで、今入院中の患者さんを励まし、同時に自分も入院の日々を思い出して初心に帰り、1年頑張ろうという気持ちになれる。だからありがとうコンサートなんです」と話す広子さん。どの歌も、仲の良さが滲み出るような2人の歌声と、実のお嬢さんのフルートも加わって、とても素晴らしかった。代表曲「野に咲く花のように」は観客全員で一緒に歌った。目立たなくても、派手じゃなくても、一生懸命生きてそっと花を咲かせている。そんな野の花のように、ハンデがある人もひとりひとり一生懸命生きているんだと思えてくる。SMAP風に言えばみんな「世界に1つだけの花」、そう、みんな特別なオンリーワン(笑)。歌いながら涙ぐんでしまっていた彼女の気持ちが、痛いほど伝わってきた。彼らは歌を通じて周りの人を励まし、自分自身をも励ましているのだ。

 退院後のリハビリは、ある意味、入院中よりも精神的に厳しい。入院中はプログラムに沿って過ごしていればよかったし、多くの仲間と毎日話をして不安をぬぐうことができた。でも退院すれば、毎日色々な不安を自分で処理しなきゃならない。回復具合に悩み、社会復帰への不安も募り、思うように外出もできずにへこむ日々もある。そんなとき、こうしてたまに病院に来て懐かしい仲間や信頼しているスタッフと笑顔で話せるだけで、気持ち新たに頑張ろうという気になれる。おまけに今日はスペシャルバージョン。入院前からたくさんの勇気と元気をもらっていたダ・カーポ本人に直接励ましをもらい、入院を共に乗り越えた愛読書にサインももらい、心に響く歌を聴けて、本当に今日は勇気百倍。
 これからもリハビリの日々が続くけれど、この病院で過ごした日々があるからこそ、きっと頑張れる。そして、またちょっと疲れた時には、愛するこの病院に気持ちを“充電”しに来ようと思う。



No.166
1月13日 むく(マドリード)

 もう20年以上、日本で正月を過ごしていない。特にかしこまって何かするというわけでもないのだが、大晦日に年越しそばを食べ、除夜の鐘を聞くと改まった気分になったものである。

 クリスマスは日本では単なるお祭りであるが、ヨーロッパでは厳粛な宗教的な日である。日本のように馬鹿騒ぎをすることなど考えられず、家族で過ごすのが普通である。その反面、大晦日から元日にかけてはお祭り騒ぎとなる。あちこちで花火が上がったり、爆竹の音が聞こえてくる。隣の家からはディスコ風の音ががんがん聞こえてくる。近所の人間が集まり、深夜遅くまで踊りを楽しんでいたようだ。こちらはお酒の飲みすぎで早々と寝てしまい、12時の鐘の音も聞かずじまいだった。

 暮れは12月31日まで仕事、1月2日が仕事始めというのが通常なので1月1日といえども単なる祝日という感覚しかない。もともと馬鹿騒ぎは大嫌いな性分であるし。

 そうしたなかで日本人会主催の餅つき大会の手伝いに行ってきた。会場設営のほうではなく台所の方である。日本レストランが持ち回りで餅の準備をする。今回は知人が担当なので、そのお手伝いである。大会そのものは午後1時から4時までであるが、裏方の人達は9時前から終了までずっと働きっぱなしである。

 仕事の合間を縫って会場に顔を出す。たまにしか会えない人達が結構会場に来ていることが多く、その人達と挨拶を交わすことは楽しみの一つなのである。今回も多くの人と言葉を交わすことができた。ML仲間、仕事上の付き合いがある人達、個人的なスペイン人の友人たち、学校の先生たち、などなど。この楽しみがあるので餅つき大会に行くのをやめられないのである。

No.165
1月5日 TOSHIO(日本)

 今年の冬は、12月22日(月)より休みを取ってドイツに帰った。クリスマスはやはり家族で過ごすものである。21年の結婚生活の間に、クリスマスを家族と一緒に過ごさぬ事ほど非人間的なことは無いという考え方が妻の影響で身についてしまった。会社の仕事納めが29日であるという事も、クリスマスを家族と一緒に過ごす重要性の前にはほとんど重きをなさなかった。特に今年のクリスマスには、妻の家族が我が家に集まる事になっていた。

 私が大阪伊丹空港から乗り継いで18時間かけてドイツはボンの我が家に着いた時には、南ドイツから義母グドゥルンが、南カリフォルニアから義弟カーステンが既に到着していた。義弟は、息子二人を連れてきていた。アレックス6歳とエドワード4歳である。昨年のクリスマスは、逆に我々家族がアメリカに行って彼らに会った。一年振りの再会である。一年の間にアレックスもエドワードも以前にも増してよくしゃべるやんちゃな男の子になっていた。しかし決して悪い子ではない。明るい活発な良い子達である。義弟が連れてきていたのは、息子達だけではなかった。新しいガールフレンドも連れてきた。モルドバとの国境に程近いヤッシという町に住んでいる正真正銘のルーマニアの女の子である。10年以上も昔、仕事で何度もルーマニアを訪れたが、首都ブカレストの一流ホテルでも真冬に暖房が無かった。あそこまでの貧しさは今はもう克服されているであろうが、それにしてもどんな生活をしているのか量り難い国ではある。アレックス達の母親とはもう離婚している義弟とルーマニアの女の子は、本気で結婚を考えているようであった。

 24日イブの昼には、もう一人の義弟クリスチャンがベルリンからやって来た。合計10名の賑やかなイブの夜となった。皆で夕食を取った後、アレックスとエドワードが待ちきれずにクリスマスツリーの下に置かれたプレゼントをあけ始めた。我が家の娘達は6歳の頃にはサンタクロース(ドイツではクリストキンドと呼ばれる)の存在を未だ固く信じていた。妻も私も、クリストキンドがプレゼントを運んでくるように精一杯の演出をしたものである。しかし、アレックスもエドワードも、クリスマスには両親や親戚のおじさんおばさんたちからプレゼントを貰うもんだと初めから思っているようである。子供の頃からそう思うのも決して悪くは無いのかもしれない。

 あかあかと燃える暖炉の傍で、アメリカ訛り・日本語訛り・ドイツ語訛りの三種類の英語とドイツ語と日本語の飛び交う楽しいクリスマスであった。来年は、どこでどんなクリスマスを過ごす事になるのだろう。

 

ちょっと前のわたしたち

2008年2008年9月2008年8月2008年7月2008年6月2008年5月2008年4月2008年3月2008年2月2008年1月

2007年2007年12月2007年11月2007年10月2007年9月2007年8月2007年7月2007年6月2007年5月2007年4月2007年3月2007年2月2007年1月

2006年2006年12月2006年11月2006年10月2006年9月2006年8月2006年7月2006年6月2006年5月2006年4月2006年3月2006年2月2006年1月

2005年2005年12月2005年11月2005年10月2005年9月2005年8月2005年7月2005年6月2005年5月2005年4月2005年3月2005年2月2005年1月

2004年2004年12月2004年11月2004年10月2004年9月2004年8月2004年7月2004年6月2004年5月2004年4月2004年3月2004年2月2004年1月

2003年2003年12月2003年11月2003年10月2003年9月2003年8月2003年7月2003年6月2003年5月2003年4月2003年3月2003年2月2003年1月

2002年2002年12月2002年11月2002年10月2002年9月2002年8月2002年7月2002年6月2002年5月2002年4月2002年3月2002年2月2002年1月

2001年2001年12月2001年11月2001年10月2001年9月2001年8月2001年7月2001年6月2001年5月2001年4月2001年3月2001年2月2001年1月

2000年2000年12月2000年11月2000年10月2000年9月

トップに戻る

 

 

このページはFirefox3.0 と I.E.7にて動作確認されています。
e-mail address: info@arrobaspain.com
Copyright (c) 2000-2008@Spain all rights reserved.