ちょっと前のわたしたち

【No.158】11月4日 Meche * 【No.159】11月10日 Sara * 【No.160】11月25日 TOSHIO

No.160
11月25日 TOSHIO(日本)

 ドイツに妻と娘達を残し、名古屋に単身赴任してから早くも二年が経った。

 家の片付け、掃除、洗濯、ゴミの分別、料理、電気代ガス代水道代等公共料金の支払・・などなど生活のありとあらゆる領域で破綻をきたしてしまい無力感に苛まされるようになるのに半年とかからなかった。シルバー人材センターにお願いし家政婦のおばちゃんに来て貰うようになって少しは楽になったとは言うものの、自炊の習慣を持たぬ私の、公私を問わぬ連日の会食・飽食の生活は、とうとう肉体まで苛み始めた。今年の健康診断の結果、肝機能障害の為精密検査を要すとの宣告を受けた。秋休みで来日していた妻に散々プッシュされて精密検査を受けると、やはりGPTとGOTとγ-GTPなる値が基準よりも高いようである。先生からは、アルコールと肉を控え夜遅くの大食いも控えるようにとのお達しを頂いた。
 50に手の届かんとする私の世代ではそれほど深刻に心配する事ではないのかも知れぬが、これまで一度も健康診断で引っかかった箇所が無く、健康優良児を自認する精神年齢28歳の私にとってはいささかショックであった。更に、追い討ちをかけるように痛風が痛み始めた。左足親指の付け根が痛むのである。そう、尿酸値も基準以上に高いのである。折りしも、妻と娘達が日本での秋休みを終えドイツに帰る直前。妻と娘達を名古屋空港に送っていった時には、情けない事に歩くのもままならない有様だった。

 生活の破綻と、肉体にガタが来始めた最大の原因は、無茶苦茶を続けた単身赴任生活によるものであると私は思っている。既婚者にとって健全なる単身赴任生活などというものは存在せぬのであろう。少なくとも私にはそのようなものは存在し得ない事に気がついた。一刻も早く単身赴任生活に終止符を打ち、再び家族一緒の生活を開始せねばと思い始めた。幸か不幸か、私の単身赴任生活が殆ど全ての領域で破綻をきたし、更に健康が蝕まれ痛風に悩む私の様子を目の当たりにした妻も、単身赴任生活が私に与えた破滅的な結果に気がついたようである。

 私たち夫婦は、次女が高校に上がる来年の春、日本で再び家族一緒の生活を始める事を決断した。21年前の結婚以来、海外赴任・帰任を繰り返す私と共に合計8年間日本に住んだ挙句、もう二度と日本には住みたくないと言っていた妻も折れてくれた。申し訳無い気がする。

 再び日本での家族生活が始まる。妻は、しかし、定年後スペインに住む事についてはいささかも折れるつもりは無い。望むところである。定年後スペインに暮らす私の決意にも変わりは無い。スペインの美味しい食事、陽気な人々、素晴らしい天候、美しい風景、限りなく豊かで面白い文化に再びどっぷり浸り、楽しくパラ三昧の生活を送るのが私の将来の夢である。この夢は必ず実現させる。その為にも健康でいなくては、、と思う「最近の私」である。



No.159
11月10日 Sara(グラナダ)

“猫はしゃべらない” 〜マノーロさんよ、永遠に〜

 十月にマドリードからグラナダに引っ越し、二週間たたないうちに七年間共同生活してきた猫、MANOLO(元名はMANOLETE=マノレーテ)が逝ってしまった。私のスペイン生活が八年過ぎて九年目なのでマノロは私のスペイン生活では一番長い付き合いの一人だった。(笑)
 マノーロさんに追悼の意を込めて。

*グラナダ、アルバイシン生まれのマノーロ
 
 マドリードからグラナダに越した、と書いたけれど、私はもともと八年前 グラナダに住んでいたのでマノーロはグラナダの猫でした。拾った場所柄、生まれは世界遺産地区のアルバイシン。たぶん小さい頃から良く言えばお人よし、悪く言えば“とろい”猫なので、アルハンブラ宮殿の見えるサン・ニコラス展望台で出会った時は他の猫との喧嘩に負けて瀕死の重態だった。動物保護センターの獣医に見てもらったけど「今夜が峠です」と言われ、「ニャン」とも泣かないぐったりした猫を玄関において一晩過した。しかし、翌朝起きてみたらなんと「ニャン」と泣くではないか。まあ、これは良かったと最初の餌をあげた。
 マノーロは青い目の綺麗なシャム猫でそのころ推定七ヶ月。かわいいとは思ったけど動物を飼うと大変だし、どちらかというと私は犬派(犬が好きってことです)なので、飼主探しを始めた。
 二、三週間経った頃“とろい”マノーロが家に入った虫けらに向かって勇敢に戦っている姿が面白くてしかたなかった。虫けらに向かって闘牛士のごとく立ち向って行く様子にとうとう名前をつけてしまった。“マノレーテ”。闘牛場で勇敢に命を落とした名闘牛士の名前を。
 それからマノレーテは先月まで私と暮すようになる。

*マノーロとルミとの共同生活

 マノーロと暮して一年目。マノーロは恋をした。毎朝マノーロの座っている窓の下に通ってくるアルバイシン猫。まだ四ヶ月くらいのトラ柄の猫。典型的な野良猫。貴方はシャム猫なのと言ったところで二人の愛はとめられない。ある早朝五時、私はドアを開けて彼女を朝食に招待した。それからも毎朝通ってくる彼女に負けて、一匹も二匹もいっしょだあ!と二人の結婚を許した私でした。(彼女には、ルミという名をつけました)
 それから、私とマノーロとルミは同じ家に住みました。ルミが来てから二年程してマドリードに皆で引っ越しました。留守がち、いや、ほとんど家には寝に帰るだけだったその頃の私でしたので、家の主はどちらかというと彼等でした。「あら、久しぶり〜」という感じで二人とも玄関にいつも迎えにきてくれたものです。二人は非常に仲の良い夫婦でたまに帰ってきた私の方がお邪魔ですか?という感じさえしたものです。

*ルミの逃亡

 一年ほど前から、今度は私も恋をして、家に男を連れ込んだ。四人の生活が始まった。
 今までは私と猫は三人でベットで川の字になって寝たものだが、新しい男はそれを許さなかった。まあ、正直いって邪魔(笑)だし、なんせ結構、毛だらけなのだ。ベットとソファーは猫侵入禁止となった。ほぼ七年間OKだったのに、急にダメって言われても猫にはなんの事やらわからないらしかった。マノーロさんは籠ベットを作ってもらってそれでも満足していたが、ルミは非常に怒っていた。
 二ヶ月前だろうか、ある日扉を開けっぱなしにしてしまったら、飛ぶようにして家出してしまった。逃げてしまったのである。

*マノーロの衰退と入院

 ルミさんがいなくなってからマノーロは一気に老けた。もともと病気がちの猫だったが、全ての病気がすすんだ。私も結婚と引っ越しを決意して忙しかったので、マノーロを病院に連れていくのが遅れたかもしれない。五時間の車での移動と新しい家もすごいストレスになったはず。やっと家に慣れて故郷の空気を楽しんでいるかのように思えた頃、急に動きが鈍くなった。
 そんな日が五日続いた後、夜中に発作を起こした。その夜、そのまま動物の救急病院に入院。危篤状態のまま、点滴生活が三日続いた後、死んでしまった。出来るだけの事はしたので淋しかったけれど仕方ないと思った。故郷のグラナダに戻るのを待っていたかのように逝ってしまった。シエラ・ネバダの山の大きな木の下に埋めに行った。その木の栄養になって葉や実になるように。

*マノーロの本当の気持ち

 その後、マノーロを知る数人の知人に死去を知らせるといろいろな言葉が返ってきて考えさせられた。
 “貴女が幸せになるのを見て安心して逝ったんだね”
 私に対しても慰めになる優しい言葉だ。
 “弱い猫だったから貴女に飼われて生き延びたわね”
 確かに獣医もよく七年頑張ったと言ってはくれた。
 ルミさんとの仲の良さを知っている友人はこう言う。
 “病気もそうだけど、ルミさんを失ったのが一番精神的にマノーロが弱った原因だわね”
 全部、一理あると思う。
 そして私は思う。
 私の旦那になる男はマノーロとルミを可愛がってはいた。でも、最初から彼らといる訳ではないので愛情が違うのだ。言ってみれば私の連れ子と住んでいるような状態だった。
 猫達はどう思ったんだろう。最後にグラナダに帰って来たのも多分わかっていたのではないかと思う。動物ってそういうところ敏感だと思うから。でも、マノーロはなんせ“とろい”からな。わかっていたのかな〜。いまさらながら、猫はしゃべらない。猫の気持ちはわからない。もどかしいけど、だからカワイイ、愛しいのかな。
 小さい頃好きだった本、ドリトル先生の話を思い出した。作者も動物の気持ちがわからなくてもどかしい思いをしたのではないかな。それで、動物の言葉がわかる先生を登場させたのかな。

 ルミは、きっと強いから、マドリードで番長猫になってるはず。
 シエラ・ネバダはもう雪が降りました。マノーロさんはもう雪の下です。
 皆さん、ヨーロッパ最南端のスキー天国へ是非いらしてくださいね!

Sara Ayako Ishikawa



No.158
11月4日 Meche(京都)

 結構定番(?)の女医になってみた。

 ハロウィンはケルト人の“秋の収穫を祝い、亡くなった人たちを尊び偲ぶ宗教的行事”が起源で、この夜は死者がさまよい歩くと信じられていた。
 アメリカでは、かぼちゃのランプを飾り、お化けやちょっと怖〜い仮装をした子供たちが「Trick or treat! なんかくれないと悪戯しちゃうよ!」と言いながら、家を回ってお菓子をもらう。大人たちも仮装したりして、なんだか楽しさいっぱいのお祭り。だけど、怖い仮装をするのは家の周りを徘徊している悪霊を追い払うためだから、一応由来は残ってる。
 でも日本ではただの仮装パーティーの日。ほとんどの人が本来の意味なんて知らないけど、寒い季節の入り口に、大勢でおバカなことをするのはほ〜んと楽しいから、良しとしちゃいましょ。

 ということで、セクシーミイラ、自由の女神、ミニスカ・ポリス、侍、アフロ、ウサギに虫。ハロウィンの日は、変なのがいっぱい仕事してたりするうちのラジオ局。女医の私もストップウォッチ片手にマイクの前。「リスナーのみんな、お熱ないかなぁ〜?」
 熱があったのは間違いなく私。ミニスカートに黒のハイヒールの女医は、ある意味怖かったしすでに何かに取り憑かれてたから、悪霊の入り込む隙はなくって無事ハロウィンの夜を乗り切りました。

 そんなおバカなハロウィンをここ何年か過ごしてきて、いろんな楽しい仮装もいっぱい見てきたけど、忘れられないほど好きなのは、スペインで見た“ハエ”。
 ハロウィンではなくカルナバル(カーニバル)の仮装だったけど、女子寮の住人約10人からなる“ハエ”は、黒の全身タイツに身を包み、茶こしで作った眼を付けて、背中に羽も装備して、夜の街をセクシーに飛んでいた。
 「メス・バエ、メス・バエ、私たちはイケてるメス・バエ!こんなにイケてるメス・バエはどこを探したっていないよ〜ん!」テーマソングも忘れられない。

 元祖チーム・ハエのメンバーは大学を卒業して、今はてんでバラバラ。だからもう二度と見れない。見れないとなると見たくなっちゃうのが人の性!こうなったら自分でやるしかないのかなぁ・・・。
 ということで来年一緒にハエになってくれるメンバー募集中です!

 

ちょっと前のわたしたち

2008年2008年9月2008年8月2008年7月2008年6月2008年5月2008年4月2008年3月2008年2月2008年1月

2007年2007年12月2007年11月2007年10月2007年9月2007年8月2007年7月2007年6月2007年5月2007年4月2007年3月2007年2月2007年1月

2006年2006年12月2006年11月2006年10月2006年9月2006年8月2006年7月2006年6月2006年5月2006年4月2006年3月2006年2月2006年1月

2005年2005年12月2005年11月2005年10月2005年9月2005年8月2005年7月2005年6月2005年5月2005年4月2005年3月2005年2月2005年1月

2004年2004年12月2004年11月2004年10月2004年9月2004年8月2004年7月2004年6月2004年5月2004年4月2004年3月2004年2月2004年1月

2003年2003年12月2003年11月2003年10月2003年9月2003年8月2003年7月2003年6月2003年5月2003年4月2003年3月2003年2月2003年1月

2002年2002年12月2002年11月2002年10月2002年9月2002年8月2002年7月2002年6月2002年5月2002年4月2002年3月2002年2月2002年1月

2001年2001年12月2001年11月2001年10月2001年9月2001年8月2001年7月2001年6月2001年5月2001年4月2001年3月2001年2月2001年1月

2000年2000年12月2000年11月2000年10月2000年9月

トップに戻る

 

 

このページはFirefox3.0 と I.E.7にて動作確認されています。
e-mail address: info@arrobaspain.com
Copyright (c) 2000-2008@Spain all rights reserved.