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6月12日から30日まで再びキューバを巡る旅をしてきた。前回の旅からちょうど半年。今回は、まるで鹿児島の実家に戻ったときのように何もしなかった。旅行もせず、ただただ生活をしていた。しいて言うならば、思いつきでサルサを習ったことぐらいだろうか。朝起きて、甘いキューバのコーヒーを飲み、1〜2時間のサルサのレッスンを受け、午後は海に行ったり散歩をしたり、友達と交流を深めることを中心に、後は気の向くままに過ごしていた。バナナを売って生計を立てている友達の家にはしょっちゅう行った。そして、一緒にバナナやマンゴーを売った。ときには、そのお父さんや、近所の仲間たち、客も一緒に、ラム酒を回し飲みしながら客が来るのを待った。
キューバにいるとどうしても一つの壁を越えられないことがあった。それは、お金だ。前回の旅行の時、キューバの友達が言った「お金はある意味、ミエルダ(クソ)だ!」という言葉が何度も脳裏をかすめた。宿のお父さんとはいつもその話になった。キューバ人が一生懸命働いて一月に得る給料は4ドルだったり5ドルだったりするということ。買い物に行ったときにスーパーで働いているお姉さんにもインタビュー(大げさだが)してみた。彼女らは1缶、1ドル弱のビールや、3ドル強のアセイトゥナ(オリーブ)を売りながら、一月4ドルの賃金で働いていた。日本で言うなら、たった1時間の給料よりもはるかに少ない額と言えるのだ。
物価は大して日本と変わりないのにあまりにも安い賃金。それでも、何もないよりはいい、とマジメに働く人々もたくさんいた。そういう現状がバカバカしいと、働かない人もいっぱいいた。外国人を捕まえておいしい思いをしたり、ちょっとたかってみれば、一月の賃金を得ることぐらいすぐにできてしまう、そんな環境のなかにいるキューバ人にとって、何がベターなことなのかわからずに混乱してしまうのは当然のことだった。
街角でもよく、「いい葉巻があるよ。キューバ産の最高級のもので40ドルだ。安いでしょ、高くないよ」。そう、声をかけられた。私はいつも「あなたにとっては安くても、私にとっては高いわ」と皮肉を交えて答えた。40ドルと言えば、彼らの年収にも値する額である。少し麻痺しているように感じられる彼らの感覚に接していると、私のなかでいつも混乱が始まった。いや、滞在中、この混乱がキレイに払拭された日は一日もなかった。
宿の人たちにもそれは言えることだった。皆と一緒に海に行く、タクシー代も食事代も私が払う。わかっていても、なんとも説明しようのない混乱が訪れた。彼らはお金がない、だから、持っている私が払うのだ。ただ、それだけのことだ。私のなかでくすぶっていた混乱は、何度も小さな爆発を起こし、その度に家族全員を巻き込んだ。そして、最後の最後になってそれはドカンッと大きく爆発した。
「私は仲間か、それとも金か、物か?」、深夜まで家の住民を寝かさずに私が暴れた。彼らは一様に困り、悲しそうな顔をした。それからとくとくとキューバという国で生活することの厳しさについて話をしてくれた。そして最後に彼らは、私のことを家族だと言った。
暴れた後、幾分、気持ちがスッキリした。しかし、それはもう帰国前夜のことだった。「昨夜は悪魔のような怖い顔をしてどうなることかと思ったけど、今回は、毎日、新しいTakaに会えてよかった」と、帰国の朝、皆が言って笑った。混乱してぶつかって、また一つ、少しだけキューバや彼らのことがわかった気がした。空港まで向かうタクシーには、家族全員が乗り込んだ。見送りに行ってくれるその気持ちが嬉しかった。
今回のキューバ旅行は、誰にも土産話になるような特別な話がない。私自身、「キューバにいた夢を見ていた」、そんな風に思えて仕方がない。でも、もう、戻りたい気持ちでいっぱいなのは、なんなのだろうか。
キューバの写真(↓)
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