ちょっと前のわたしたち

【No.37】6月4日(かおる) * 【No.38】6月11日(Taka)
【No.39】6月18日(Norie) * 【No.40】6月26日(Sara)

No.40
6月26日 Sara(マドリード)

 空のオリンピック in SPAIN

 2001年初夏のスペイン、アンダルシアで空のオリンピックが開催されている。 気球・パラグライダー・ハンググライダー・モーターパラグライダー・グライダー・曲技飛行等、7種目以上の種目の世界の空のバトルという素敵な企画。 21世紀の新しいスポーツの決戦の場所にスペインが選ばれたのである。

 私が趣味で飛んでいるパラグライダーの知人を通して声をかけていただき、ハンググライダーの日本チームのサポートをさせて頂いている。 世界30ヶ国以上のトップパイロット、約200人がカディスのアルゴドナレスという村に集結した。 決戦は6月16日の開会式から2週間、7月1日のヘレスでの総合閉会式まで。 開会式は華やか、和やか。流石、アンダルシアの村。 世界各国の選手が国旗を持って行進する姿に、ビールを片手にやんや、やんやの応援の言葉を投げかけてくれた。 日本メンバーは、10名のトップパイロット。 私も日本のトップのパイロットと同じユニフォームを着せて頂いての行進は、とても鼻が高くなってしまった。選手同士も各国の言葉で声を掛け合い、インターナショナルだ。 そう、こうでなくちゃ。

 しかし。 試合が始まると、楽しいだのなんだのとは、言ってられなくなった。 華やかな世界戦の舞台裏を見る。 毎日の選手のタイムスケジュールはかなり厳しい。 チームの動きは朝8時半には始まる。 戦うにはしっかり朝食を。そのあとのミーティング、機体の調整、テイクオフへの登山、試合のコースの発表、そして、実際の競技、選手の回収、大会本部への報告、そして、夜の食事をしながらのミーティングが終わる頃はもう夜の12時はとうに過ぎている。 そのあと、次の日の支度、シャワーを浴びると、皆きっと崩れる様にベットに入っているのだろう。 チームリーダーや、取材の方、選手の中にもそれからパソコンに向かい、日本に向けて毎日報告を送っている方々もいる。 ここはアンダルシア。日中はずっと35度以上の中での作業が続く。 これがかなりの体力を消耗させるのだ。 日射病で倒れた選手も見かけた。世界のトップレベルの選手が…。

 気候も、食事も、言葉も違う国で、空で戦うのだ。 まかり間違えば。接触事故や風の悪戯で怪我、命までも落としかねない。 相当の精神力、集中力がいるのだろう。 前半1週間で、捻挫1名、擦傷の重症が1名。 あと、1週間残っている。折り返し地点だ。 始めは出だしも好調だった。クラス2の選手達はゴールを決め、世界の総合3位だった。 それが、3日め、4日目と、下降気味。 選手の顔にちょっと疲れが隠しきれない。 いつも良く食べる若い選手も、 “あれ?食事が喉に通らないなっ。でも食べなくちゃ体力落ちちゃうしな”って言いながら、食べてる。 うわっ。っと思った。 スペインの食事は美味しいと思う。でも、疲れた勇者達は、お茶漬けをさらさらしたいのだろうな。 お味噌汁が飲みたいのだろうな。 でも、ここには無い。 歯痒い気持ちになるけど。なら、なるべく好きなものを食べてもらおう。 塩分の少な目のレストランを探そう。

 そんな中で、私なんて、ミスをしてしまったりする。 回収中に焦って方角を間違えたり、選手の名前を間違えた。 足を引っ張ってしまった。

 まだ1週間ある。折り返し地点だ。 選手は、全員実力がある。調子が出ないだけなのだ。 私はここでもう一度、気を引き締め、選手がスムーズに実力を出せるように 頑張って行きたい。 日本からも、是非、エールを送って下さいね。

 日本チームのメンバーの名前を書いておきます。
 チームリーダー 内田さん
 選手  大門選手・外村選手・峰岸選手・氏家選手・太田選手・平林選手(クラス1)、板垣選手・古坂選手・大沼選手・境線選手(クラス2)
 ジャーナリスト 松田さん

 プラス、石川と、氏家選手の奥様と4歳の長男、かいと君の応援を含め、計15人で大会の行われているアルゴドナレスの隣り村、サアラ・デ・ラ・シエラ(ZAHARA DE LA SIERRA)という、大変美しく、伝統的であり、かわいい村に滞在しております。この村の事や、大変快適に過ごしているHotel、アルコス・デ・ラ・ビジャ(ARCOS DE LA VILLA)については、また、別の機会に是非、レポートをしたいと思います。  

 Sara Ayako Ishikawa

 

No.39
6月18日 Norie(バリャドリード)

 車が壊れた。27万ペセタで購入した中古車だったので、初めからオイルが漏れたり、冬になるとエンジンがかかりにくかったりしたのだけど、今回は、本格的にエンジンが止まってしまった。時々、もわぁっとボンネットから煙が立つこともあったから、かなりヤバイと不安ではあったのだけど、仕事上、使わないわけにもいかないと無理をしてたら、結局レッカー移動。実は、3回目のレッカー移動。

 10年以上乗った車を廃車にして買い換えると、国から8万ペセタ程度の補助金が出るらしいのだけど、うちの車はボロいわりには8年め。修理費の見積もりは5万3千ペセタ。この修理費を出しても2年乗れれば元をとれる計算なのだけど、修理工場の技術者に「どのくらい持ちますかねぇ?」とおそるおそる相談するとやはり答えは、「そんなこと、わからないよー。」

 新車を買えば、200万ペセタ。スペインの中古車は、日本のそれに比べると非常に高いし、特に仕事用の車は使えるだけ使って捨てた、というシロモノ。安物買いの銭失いにもなりかねない。実際、壊れた車は10回くらい修理に出して、だましだまし使ってきた、という感じ。できればサクっと新車を買って、修理とかレッカー車とかと無縁な生活をしたいのだけど、200万ペセタなんてジーパンのポケットに隠れている5ペセタコインをかき集めたって無理かも。 自営業なので、ローンはなるべく避けたいのだ。

 ただし、車がないと仕事もできない。

 そんなことを悩んでいたら洗濯機がこわれた。数日前から脱水の調子が悪いなぁと思いながらも、お天気も良いし、すぐ乾くから良いや、と適当に考えていたのだけど、ある日、明らかに洗濯できていないことが判明してしまった。どうやらモーターが焼け付いてしまって正常に動いていないらしい。

  泣きっ面にハチ。

 「うちってさー、モーターに縁がないよね」と笑い飛ばしてみたものの、思うように仕事ができない現実と、お風呂場で手洗いしなくちゃいけない面倒臭さは、なんとか解決しなくちゃいけない。解決しなくちゃいけないのだけど、とりあえず魚にせっせとエサをやるダンナと、植物にせっせと水をやるわたし。もうちょっと後で考えよう。そうしよう。今日悩んでも解決できない問題は、明日考えることにしよう。修理するにしろ、新しいものを買うにしろ、こっちが決めても、すぐに結果が望めるスペインでもないし。

 

No.38
6月11日 Taka(東京)

 日本は梅雨の季節に突入!
 例年、梅雨明けは7月20日前後。それを考えるとまだまだ一月以上も雨と湿気に憂鬱な思いをしなければならない。でもその後にはスペインが待っている。やっとこさスペインに行けるのだ。フライパンと呼ばれるほど焦げるように熱くて暑い8月のアンダルシアで友人の結婚式がある。それを思うと梅雨も憂鬱も吹っ飛ぶ気がする。

 そんな私に九州の家族が夏の予定を聞いてきた。祖父が亡くなり初盆でもあるこの夏、鹿児島にはいつ帰ってくるのか? という電話だった。「今年は帰れるかわからない!」、そう伝えると、またスペインに行くのかなんちゃらかんちゃら…と、てんでお話にならない。またと言っても1年ぶりだし、本来4月にも行くはずだったスペイン行きを涙ながらに諦めたとき、「アナタには8月があるじゃない、今回諦めてもすぐ次がやってくるわ」と励ましの声をかけてくれたのは誰だったか…。とても同じ人物と思えない。

 ああ、家族揃ってスペイン好きな人たちが羨ましい。ないものねだりとはいえ、羨ましい。海外旅行にほとんど興味がなく大阪のユニバーサルシティがお気に入りの親と、飛行機恐怖症で鹿児島と京都の往復さえも船と電車、新幹線とフェリーを乗り継ぐ兄弟を持つと、スペインにはまっている私は1人、家族のなかでも浮いている。そんな家族にとってスペインは私を奪っていった敵でしかないかもしれない。家族が率先してバカンスをスペインでと思うようになってくれないか。うん、夢のようで、夢だ。

 それにしても日本の夏は短い。梅雨が終わってから約1ヵ月後には夏の終わりを感じさせられる8月も後半だ。この時期にはなぜか、また歳をとるのかと2月生まれの私もシミジミする。同時に、普段はうるさいとしか思えない親も歳をとる…、そう1人感傷に浸ってしまうのだ。

 そんなこんなで、親に言われずともどうも短い夏の間に一度は帰省しなければ気がすまない。帰ったところで仕事をしているのだけど、暑い暑いと言いながら夏には夏の食卓を家族で囲む、プロ野球を観ながらぐうたらビールを飲む、なんでもない夏の情緒に浸りに鹿児島に帰るのだ。
 あと何度、こんな夏が過せるのだろう? と思うと、たった一夏くらい帰らなくてもいいじゃないか! と思えないのは、結局のところ家族も私も同じなのだ。それなのについ言ってしまう、「スペインに行ったら二度と帰ってこないかも!」。困らせたい症候群か? 幼稚な私が自ら、家族とスペインを遠くしているのかもしれない…。

 

No.37
6月4日 かおる(マドリード)

 初めて偽札を手にした。
よくあるといわれる、2000ペセタの偽札。ついに手元にやってきた。
50枚の2000ペセタ札を受け取り、そのなかの1枚に偽札を発見。
受け取ったときは5枚一組の枚数に注意していたため、いちいち1枚づつを手に取ることもしなかった。銀行へ持って行こうと、さらなる数えなおしをしていると、中の1枚が妙に手触りが違う。引き出して見ると....カラープリンターで出したものか、コピーか。
暗がりでは解らなかったかもしれないが、明るい昼の光でみると一目瞭然。すかしもなく、機械読み取りの線もない。
参ったなぁ、と思いつつも、なんとなく「記念に持っておこう」と思ってしまう自分にも苦笑してしまう。たった1枚、2000ペセタだから悠長なことを言っていられるのだろうが。

 通貨統合でペセタの消える日が近づいている。
合理的で便利になるなぁ、と感じる反面、なんとなく馴染みになったペセタが消えてしまうのは寂しい。異国人の私でさえそうなのだから、ずっとペセタや他の現地通貨になじんでいた人々の寂しさはいかばかりか。
2002年からというからもう、残りわずか半年だ。新通貨、ユーロの製造は着々と進んでおり、新通貨流通後一挙に入れ替えを行うため莫大な量が貯蔵されているという。造幣局ではこのペセタの最後を記念して、「最後のペセタ」という記念硬貨を発売するらしい。

 この硬貨を購入するかどうかは別として、ペセタ硬貨には毎年異なる、地方色豊かな デザインが刻まれている。5ペセタ、25ペセタ、50ペセタ、200ペセタの硬貨には美しいものが多い。去年からいろいろ収集しておこうと思いながらまったく集められていない。そろそろ始めなくては、時間切れになってしまう。特に、50ペセタなんてもともとの流通量がすごく少なそうだ。

 ところで、この偽札も私のペセタ記念コレクションに入る予定。ペセタへのオマージュとして持っておこうと思う。

 

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